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池田はるよしのメモ

論理学を中心に語ります。

やればできるのか?

【できなかったらどうする?】

「やればできる」

この言葉は、子供や新入社員や現実と理想のギャップに気を病んでいる人に対して、わりと、安易にかけられている。

  • F:やる
  • G:できた

で記号化すると

F ⇒ G

つまり、「できた」という結果が、

「やる」という行動の必要条件になっている。

つまり、

「やってもできなかった」

(F ⇒ G) ∧ (F ∧ ¬G)

が論理的には許されない。*1

努力した結果、だめだった当事者にとっちゃ、

つらいことこの上なしで、

自信なくすか、グレるかするんだろう。

 

【やっていないといってみる】

本人の言い訳として「やらなかったから~」

とか

言ったほうの意見として「お前はまだまだ本当はやってない」

とかいうのは、非常に曖昧だし、実りがなさすぎる。

「やる」の定義が曖昧すぎるからである。

1日1時間努力したら「やった」なのかどうか?

とか、その一時間は本気モードじゃないとだめだとか、

なんか色々文言を並べても、なんら、根拠のある条件にはならない。*2

 

 【手段を選ばず結果だけに注目させればよい】

G ⇒ F (≡「できたのはやったから」)

にすると、状況は様変わりする。

この場合、できなかった(¬G)でも、

やったかやらなかったかは、論理上どちらもありえる。

出来なかったとしても、割と、冷静に原因を分析できそうだし、

「やってたらな~」みたいな、根拠のない可能性に期待をかけることもしないだろう。

 

【やらないのにできた】

ただし、「やらなかったのにできた」

場合には論理矛盾を起こす*3

この場合は、できるからいいんじゃない。と思う。*4

 

【まとめ】

努力を条件として、結果を必要条件にする形、

すなわち、「努力した ⇒ 結果がでた」

を発言する時は注意しなければならない。

結果がでなかった時は、現実逃避か、感情的に攻め立てるかしかなくて、

論理上は解決できないからである。

「結果がでた ⇒ 努力した」

と努力を必要条件にすれば、

結果がでなかったとしても、

努力したことを否定せずに、「運がわるかった」とか、「努力した方向がまちがった」とか、いくつでも言い訳が論理的にたつし、わりと冷静に状況対応できそうだ。

 ■■

*1:[証明]

(F ⇒ G) ∧ (F ∧ ¬G)

≡ (¬F ∨ G) ∧ (F ∧ ¬G)

≡ {( ¬F∧ F ∧ ¬G ) ∨ ( G∧ F ∧ ¬G )}

⇒ D ∧ ¬D  ・・・矛盾する。

*2:「やらなかった」も「やった」結果なんだと個人的には思うのだが、、、

*3:[証明]

(G ⇒ F) ∧ (G ∧ ¬F)

≡ (¬G ∨ F) ∧ (G ∧ ¬F)

≡ {( ¬G∧ G ∧ ¬F ) ∨ ( F∧ G ∧ ¬F )}

⇒ D ∧ ¬D  ・・・矛盾する。

*4:「やらなかった」の主張を通すのはかなり難しいと思うけど。